
万人に「神の種子─神から与えられた素晴らしい賜(タラント)・内なる光」が存在することを信じ、一人ひとりを大切にして豊かな心を涵養し、与えられたタラントを十二分に伸ばし、将来、社会に貢献できる誠実な女性を育てることを目標にしています。



校名の「普連土」は、津田塾大学の創立者 津田梅子の父 仙氏により、FRIENDの語の音をとって、命名されました。そして、この校名には、学園が「この地上の普遍、有用の事物を授ける」真理探究の場となるようにとの願いが込められています。


この学校をお選びくださるご家庭は、「すべての人間に対する尊敬の念」、思想、言語、行動における「誠実さ」、および生活上の「簡素」という徳性がお嬢様方のうちに成長していくよう、またこれらの徳性が物質万能主義を遠ざけ、人生にとって永続的な価値のあるものに、時間と精力を捧げるための原動力となるものであることを体得できるよう、学校と共にご協力くださると信じています。
※エスター・B・ローズ(元普連土学園理事長、校長)
1896年米国フィラデルフィア市生まれ。1921年インディアナ州アーラム・カレッジで理学士取得。1921年から1960年、普連土学園へ奉職の傍ら、戦争中はアメリカン・フレンズ奉仕団(AFSC)の一員としてカリフォルニア州の邦人抑留キャンプで奉仕活動・邦人の待遇改善等に専念した。戦後はAFSC日本支部長としてララ物資を通じて困窮した日本人の生活を援助した。また、エリザベス・G・ヴァイニング夫人の後任として皇室の英語教師を約10年間務めた。津田塾大学、国際基督教大学の理事を歴任。1960年勲三等瑞宝章受章、1979年没。
1896年米国フィラデルフィア市生まれ。1921年インディアナ州アーラム・カレッジで理学士取得。1921年から1960年、普連土学園へ奉職の傍ら、戦争中はアメリカン・フレンズ奉仕団(AFSC)の一員としてカリフォルニア州の邦人抑留キャンプで奉仕活動・邦人の待遇改善等に専念した。戦後はAFSC日本支部長としてララ物資を通じて困窮した日本人の生活を援助した。また、エリザベス・G・ヴァイニング夫人の後任として皇室の英語教師を約10年間務めた。津田塾大学、国際基督教大学の理事を歴任。1960年勲三等瑞宝章受章、1979年没。